エレオノーラ・ラグーザ玉 「パンジー」

▽略歴

文久元-昭和14(1861-1939)。洋画家。

芝新堀で増上寺の差配(管理人)の次女として生まれ、小学校に入る前から日本画家について本格的に絵を習い始める。明治9年(1876)工部美術学校が設立され、彫刻の教授としてイタリアから招かれたラグーザに洋画を学ぶが、明治15年学校が閉鎖。玉はラグーザとともにイタリアに渡り、結婚する。ラグーザが故郷シチリア島パレルモに開いた美術学校の副校長となり、同時に画家としても活躍した。昭和3年(1928)ラグーザと死別。その後日本の新聞社が玉のことを知り、小説にしたことが契機となって昭和8年帰国。晩年は清原姓に戻り、芝新堀の生家で過ごした。

昭和14年に79歳でまさに芸術的な生涯を閉じたエレオノーラ・ラグーザ玉(旧制清原)の肉筆水彩画。

女性らしさが溢れる優しいタッチで瀟洒にパンジーを描いています。

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